先週のラストでいきなり現れた塔子が不思議で仕方なかったのですが、なるほど、律が呼んでたのですね。
てっきり本ドラマの得意技の素敵な偶然が炸裂したのかと思いましたが違った様です。
しかし、律と塔子って、言ってみればすれ違った程度の間柄だと思うのですが、協力関係になるのは不思議ですねぇ。
サトルにあれだけ冷酷な仕打ちをした程の利己的な人が、律に対して献身的とさえ感じる様な手助けをするとは思えないのですが。
塔子のキャラ、ブレまくってるんじゃないかと。
今回、本ドラマでは珍しく「ほう、なるほど」と思えるギミックがありました。
サトルが麗子の本当の子供じゃなかったと言う事です。
血の繋がらない息子に血の繋がった息子の心臓が宿ると言う結末になって、これは中々ドラマチックで秀逸な設定だと思います。
律にしてみれば自らの一部とは言え、最終的に母親の傍にいる事が出来る様になったと言えるし、サトルにしてみれば自らの一部に母親との血の繋がりのある部位が宿る事で正真正銘の息子になる事が出来たとも言えます。
ただ、なんでしょう、ドラマ全体の作劇がチープで、折角の上手なギミックが全然生きなかったと言うか、何と言うか、全くドラマチックに感じなかったのが残念でした。
このドラマの最も大きなイベントとなるのが律が麗子の息子だとカミングアウトする事だと思います。
少なくとも個人的にはそう感じていたのですが、肝心のその部分が劇の中には無く、視聴者に委ねる形になってます。
これは如何なものかと。
勿論、ラストで麗子が事実を知っていると言う描写はあるのですが、視聴者が一番観たいのは、律が息子だと知った時の麗子の心情な訳です。
事実を知った際に麗子はきっと悶え苦しむはずで、そんな麗子の心の痛みを律が如何に和らげるかと言う事こそが本ドラマの肝だと思っていました。
そのシーンによって、律と言う人間が如何に優しい男だったのかを知る事が出来るし、と、同時に麗子の心に刺さった棘を抜く事が出来る、言わば、ドラマの一番の見せ場になるんじゃないかと思うのですが、それが一切ないってどう言う事かと。
で、もし、ああ言う風に物語を進行させるのであれば、いっそ、律が自らの本当の息子だと言う事を一切知り得ないと言う結末にするべきなんじゃないかと。
知らぬが仏とでも言いましょうか、少なくともサトルが生きていると言う事実が純粋に大いなる意義を持ち、未来への希望になります。
でも、あのエンディングだと、麗子は完全に生殺し状態で、全く救いが無く、律と言う存在は麗子に対して一生の贖罪を背負わせる存在でしかなくなってしまいます。
もし律が「母親への復讐」を行動原理にしていたのなら、ある意味完璧な復讐が完了したとも思えますが、ドラマの経緯を追えば決してそうではない事が明らかな訳です。
律のいなくなった世界で、麗子は深い悲しみと後悔を背負って生き続ける事になるでしょう。
果たして、律は、あの世からそんな母親の姿を見て、嬉しいと思うのでしょうか?
聊か疑問が生じてしまいます。
さて、本ドラマ、それにしても最初から最後までご都合主義のオンパレードだったなぁと。(笑)
物語を進行させる切欠となる出来事のほとんどを「素敵な偶然」に委ねるって、ちょっと安易にも程がありますよねぇ。
あと、原作が外国だと言うのもあるのでしょうけど、なんだろう、設定があまりスっと入ってこないと言うかなんというか、突飛過ぎて全く感情移入できませんでした。
或いは、昼ドラマとかで長々と力技でゴリ押しをすれば説得力も出たかもしれませんが、ちょっと連ドラには向かないかなぁ?
あの世界観に説得力を持たせえるには時間が足らなかったかもしれませんね。
更に言えば、舞台設定や作劇が猛烈に荒唐無稽なのに反して、俳優陣がみんな上手い人たちが揃っていたのもアンバランスで、演者が上手ければ上手い程に変に浮いてしまうと言う、なんとも不思議な現象が起きていた様にも思えました。
逆に言えば、あの荒唐無稽なヘンテコリンなドラマに幾許かの説得力が感じられたのは、取りも直さず、俳優陣が実力のある人揃いだったからと言えるのかも知れません。
長瀬くんのドラマにはハズレが無いので毎ドラマ楽しみに観ていたのですが、ちょっと今回のドラマは頂けなかったかもしれませんね。
珍しく長瀬くんドラマでハズレの部類に入るドラマかもしれませんね。
まぁ、そんな事もたまにはあるかな?